小脳出血の母、コロナになる

こんにちは、メリッサです!

ポルノグラフィティ20thライヴサーキット「水」無事に初日を迎え、順調に進んでいます!
昭仁も晴一も元気に公演を重ねているようで、ラバッパーの1人として嬉しい限り。
参戦は5月ですが待ち遠しいです!

そして同じくらい待ち遠しいのが母の退院。
今日も記事は母についてです。

母が入院して一週間。毎日起きて階下に降りても真っ暗。
いつもそこでニコニコ笑って「おはよう」と言ってくれた姿がない。
仕事から帰っても「おかえりー」の声がしない。

母親というのはいつも子供のことを考えているのだな、と思った出来事がある。
入院3日目のことだ。午後休を取って面会に行くと、母の両手がベッドに結びつけられていた。
すぐに看護士の方が「ご家族の方がいらしている間は」と言って解いてくれたが、理由は点滴や経管栄養の管を外してしまったため。
思わず「ママ、これ取ったらダメなんだよ」と言ってしまう。すると母は「お母さんお家に帰ったんだよ。お姉ちゃんのお弁当作らなきゃと思って」と言った。「あっくん(弟)もお姉ちゃんも起きて来ないから、どうしよう、起こしに行かなきゃと思ったけど転ぶと大変だから立ち上がらなかった」と。

私は何と答えていいかわからなかった。

私は昭和生まれで、令和の今だったらアウトかな、と思うような体罰や言葉の暴力が普通の日常で育った。
時折報道を見ながら「家もこうだったよね」と言うと「そんなことしてない」と母。

そういう子供時代だったから、正直言って母に思うところがないわけではなかった。

それでもここに至って、私はちゃんと愛されて育ってきたのだとわかった。母へのわだかまりやモヤモヤがなくなっていく。

市民病院の面会時間の関係で、弟も私も週末しか面会に行けない。
発症から一週間経った日曜日に二人でお見舞いに行くと、看護士さんにこう告げられた。

「熱が一気に38度まで上がったので、念のためコロナの検査をしたい」

検査の結果はまさかの陽性!
すぐに個室に移動となり、1週間面会はできないと告げられた。個室に移る同意書など手続きに行った弟に反して、母のそばを離れがたい私に母が言う。
「コロナになっちゃったから近くにいたらダメでしょ」
後ろ髪を引かれる思いで病室を出た。

私が外出するときは余程のことがない限り一緒に出かけたがる母のことを、私は子離れできていないなぁ、などと思っていた。しかし、ここへ来て私が親離れできていないことに気づかされた。
もういい加減成人して久しいのに、母がいないと何もできない。
買い物に行っても楽しくないし、ご飯を食べても美味しくない。そんな私にとって、この1週間はとても長く感じられた。

コロナで面会できなくなってから1週間が経ち、張りきって面会に訪れた。
最近の大きな病院には「お見舞いメール」なるものがあると知り、メールも出していたが久々の面会にテンションが上がる。
ところがナースステーションで母の名を告げると、他にもコロナに感染した患者さんがいて、1度に看護できるように4人部屋に移ったという。そして最後の患者さんの隔離期間が終わるまで会えないと言われてしまった。

がっかり感がものすごく出ていたのか、応対してくれた看護師さんが「メール見て『頑張らないとねぇ』ってお話しされてましたよ」と言ってくれる。母がメールを喜んでくれて嬉しい。帰宅してすぐにまたメールを出した。

母が脳出血を起こしてからというもの、「今度行こうね」とか「今度やろうね」とか言っていたことをとても後悔している。
母が行きたいと言った所、食べたいと言ったもの……どうしてすぐ連れて行ってあげなかったのかな。自分の毎週の休み、年末年始の休み、行こうと思えば行けたのに「疲れるから」とか言って「またね」にしてしまっていた。その「今度」は来ないかもしれないのに。

母が元気になって退院したら、行きたい所は手が届く限り連れて行ってあげたい。食べたいものだって一緒に食べて「美味しいね」って言いたい。

今この瞬間大切な人がすぐそばにいるあなたへ。その人との時間を大切にしてほしい。「行けばよかった」とかいう後悔をしないように。当たり前だと思っている時間は、いつ壊れてしまうかわからないのだから。

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