ポルノグラフィティ 晴一さんのnote

こんにちは♪メリッサです。

私は自閉症スペクトラムと診断され、日々対人戦闘能力のなさを思い知らされながら生きているのですが、先日晴一さんがnoteに上げられた文章を読んで気持ちが楽になりました。

その感想…なんておこがましいにもほどがありますが、心が動いた記録として書いておこうと思います。

晴一さんは最近の状況について、今目の前に映るものが平和そのもので、世界の至るところで苦しんでいる人がいて、不眠不休で働いている医療従事者がいるとは想像することが難しい、と話します。

「想像する」ことがいかに難しいか。それについて思い知っているところだ、と。

私が心を動かされたのは、次に続く文章だ。

晴一が「人の気持ちになって考えなさい」的な想像を「最も苦手とするところだ」と書いている。
一応努力はしてみるものの、解答を示されたら大抵の場合、よく理解できずに渋々頷く、と。

他人の気持ちなんてそもそも想像しうるものなのか」と。

そしてこう続く。
「世の中に『人の気持ちになって考えなさい』なんて言葉があるくらいだから、できる人もいるんだろう。尊敬する」

私は晴一のこういうところがとても好きだ。
昭仁もそうだけれど、本当に飾らない。自分の思うことを率直に言ってくれる。

私の人生の半分を支えてくれた詩を書く晴一でも、人の気持ちを想像するのは苦手で、そんなことができるのか、と考えている。

あぁ、まただ。
私が苦しいとき、自分が何を感じているかさえ分からなくて気持ちの行き場を見つけられないとき、不思議とこうして晴一の言葉に出会う。

私は神様のお取り計らいだと思っている。
もっとクリスチャン的な人にとっては聖書であり、神様の御言葉がそうなのだろう。でも私にはまだそれは無理なのだ。だからこうして、もっとわかりやすい、人によっては「この世的」とか「肉的」とか言われるだろうことを通して私を助けてくださると。

私には確かに人の気持ちはわからないし、気遣いもできない。
それができる人も確かにいるんだろう。すごい。私には超能力者としか思えない。

でも
私も思う。

晴一が言うように、本当に人の気持ちがわかる人なんているんだろうか。

アスペルガーではない方々には、もしかしたらわかるのかもしれない。
でもそれは本当に「私の気持ち」だろうか。
そもそも私は人の気持ちはおろか自分の気持ちさえわからないことがある。
そんな「私の気持ち」を、本当にわかるのだろうか。

できる人もいるんだろう。晴一が書いているように。本当にすごいと思うし、私もそうなりたい。

そうなりたいと思う一方で、私は、それを私にも求めないでほしいとも思ってしまう。
それができないことを、そういう人もいるということを責めないでほしい。

できる人からしてみれば、どうしてできないのか理解できないし、イライラするのだろう。
自分のことばかり考えている、と頭にくるのだろう。

どうかゆるしてください。
ただ私は、この世界に自分を当てはめるので精一杯なのです。
対人戦闘能力を持たずに社会で生きていかないといけない、そのことで手一杯なのです。
周りを思いやる余裕がないのです。
そういう人も、いるのです。

記事のラスト部分で晴一は言う。
「大変だったという感想ばかりじゃなくて、その中に楽しかったことを入れたい」と。

人生もそうであればいいと思う。

大多数、いや、きっとほぼすべての人にとって、人生とは大変なものなのではないかと思う。
そういう中にあっても、楽しいことを探したい。

今日はこうして、大好きな「文章を書く」ことができた。

きっかけとなる文章を書いてくれた晴一に感謝。
ポルノグラフィティに感謝。

ポルノグラフィティを生み出してくださり、彼らの音楽に出会わせてくださった神様に感謝。

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