ポルノグラフィティ 晴一さんnote感想 否定しない

こんにちは メリッサです!

書きたい何かがあって、書かないと叫びだしたいくらいの衝動はあるのに書けない…
そんなとき、晴一さんのnoteが読めるのは本当にありがたいと思う。
今回も感想という名の文章を書かせていただける。

私には「好き」と言えるものがとても少ない。
音楽で言うと、20年間ずっとポルノグラフィティが中核だ。
もちろん他にも音楽は聴いてきた。年代がバレるのを覚悟で少し書いてみると、GLAY、浜崎あゆみ、宇多田ヒカルやヤイコ…といったところ。最近はONE OK ROCKもたしなんでみたりした。でも、長続きしない。しっくりこない。だからこの20年間ほぼ彼らしかいないと言っていいだろう。

これがアスペルガー症候群の特性によるものなのかどうかはわからないが、どうしてこんなにポルノグラフィティの音楽に惹かれるのか、彼らだけが特別なのか、改めて考えてみた。
もしかしたら、「人生の半分はポルノでできています」に重なる部分があるかもしれないが、ご容赦願いたい。

そんなことを考えているとき、ちょうど晴一さんのnoteが更新された。
人は”完全に”わかり合えることはない」というタイトルで。

読んでいて、晴一さんのこの考え方が歌詞に生きているんだな、と思った。
人と人は”完全に”はわかり合えない
そのことを「寂しい言葉に聞こえるかもしれない」と言いながらも、晴一さんは認めている。

だから、ポルノグラフィティの歌は「人を否定しない」のだと思う。

例えば「幸せについて本気出して考えてみた」という曲がある。
その中で晴一はこう言っている。

誰だってそれなりに人生を頑張ってる
 時々はその”それなり”さえも誉めてほしい

「ブレス」でもこんな一節がある。

君はもう十分頑張っているのだけど

私はこういうフレーズを聴くと、涙が出て仕方がない。
そして、心の底からポルノグラフィティが好きだと思う。

発達障害は、厄介なことに外から見てほとんどわからない。
私なりに頑張っていても、どうしてもできないことが理解を得られない。
できることとできないことの差がありすぎるから、「あれができるのにどうしてこれはできないの」と言われることが多い。

そのたびに私は、自分自身を否定されるような気になる。
表情では笑っているのかもしれない。でも、内側ではこの世界から消えたい気持ちでいっぱいになっている。

私は感情に疎い特性も持ち合わせているので、自分がそう感じていることには気がつかない。
だから、多分私が自分でも気づかないほど奥深くで傷ついていることは、誰にもわからないだろう。
自分だってだいぶ後になって、それが限界を超えてしまってからやっと気がつくのだから当然だ。

私の心が、誰にも、持ち主である私にも気づかれないままに限界を迎えているとき、晴一がこういう詩を書いてくれる。
それを昭仁が時に力強い声で、時には包み込むように、まっすぐに私の心に届けてくれる。

だから、私は今こうしていられる。

たとえ他の誰にもそう見えなかったとしても、私が自分なりに、それなりに頑張っていることを、大好きなポルノグラフィティが認めてくれる、と思えるから。

自分が発達障害を抱えているとわかってから、余計に「わかり合えない」と思うことが増えた気がする。
「誰にでもあること」「誰だって発達障害っぽいところはある」と言われるたびに。

それは確かに間違いではないのだろう。
もしかしたら、私を慰めよう、励まそうとして言ってくれる人もいるのだろう。

でも、晴一さんが言うように「3層くらいになっている」心の一番深くにある「核」は、誰にもわからない。

晴一さんが言うように、「他人は自分じゃないから。」

同じ発達障害を抱えて悩み、苦しんでいる人のことだって、”完全に”はわからないだろう。
私はその人ではないから。
その人が何に苦しんでいるのかを、”本当に”理解することはできない。

晴一さんは、そのわかり合えない部分があるから、「人とわかり合いたい、わかってもらいたい、話したい、触れたい、見つめたい、と思う」と書いている。
私は今の時点ではそう思っていないから、そう思えることがうらやましい。

その一方で、晴一さんはわかり合うためには自分をさらけ出さなくてはいけなくて、それは自分には無理だ、とも書いている。
今の私はこちらに近い。自分をさらけ出すなんて怖くてとてもできない。

晴一さんのこういう正直なところが本当に好きだ。
彼が発信するものを多くのファンが目にすることを承知で、それでも綺麗なことだけを言わないところが。
自分の内側には、綺麗なものばかりではなく、目をそらしたくなるようなものだってあるときちんと認めてくれるところが。

それが、晴一さんの優しさなのではないかと思う。
人は決して「どちらかひとつ」ではなく、「両方ある」と言ってくれる。
だから、彼が書く歌詞は、ポルノグラフィティの音楽は「人を否定しない」のだ。

だから私は、20年間支えられてきたのだ。

記事の中でご紹介した「幸せについて本気出して考えてみた」の歌詞は2番で歌われている。
ぜひ聴いてみてほしい。

ポルノグラフィティの歌詞は2番がいい、ということについても書いていきたい。

 

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