ポルノグラフィティ 晴一さんnote 才能とは

こんにちは、メリッサです!

今回の晴一さんのnoteのタイトルに衝撃を受けた人も多いのではないだろうか。

「僕には才能があるのか?」

え、ちょっと待って。

私は晴一さんは才能の塊だと信じて疑わない。
だって「サウダージ」や「アゲハ蝶」は言うに及ばず、このブログでも散々取り上げてきた「ジョバイロ」や「空想科学少年」などの曲たち、他にも挙げればキリがないくらいたくさんの、すばらしい歌詞を生み出してきた人だ。

私の人生の半分を、その言葉で、ギターの音で、音楽で支えてきてくれた人だ。今でも支え続けてくれている人だ。

そんな晴一さんが「才能があるのか?」なんて…

だって実際、今回のnoteでも、私にこうしてまた書く力をくれた。

この記事は、晴一さんが昔出版した「自宅にて」という本の中のあるテーマと同じテーマで、今の晴一さんが書いたらどうなるのか?という趣旨で書かれている。

前半には過去の晴一さんが書いた文章が丁寧に文字起こしされている。
才能について、そこで晴一さんは「速く走れたり、面白い こと言えたりってことだけが才能じゃない。歴史に残るような名言が次々と思い浮かぶことじ やない。それが好きで努力できることだって十分才能。」と言っている。

なんて優しいんだろう。
もうこれだけで、私は泣けてしまう。

神様はいつも、私がめちゃくちゃ落ち込んで凹んでいるときに、こうして晴一さんの言葉を届けてくださるのだ。本当に素晴らしい。

現在の晴一さんも、才能について同じように書いている。
何かを好きでいることが才能になるのなら、自分にもできるのではないかと思いませんか。」と。

私が好きなことは、こうして書くことだ。
正直言って、誰にでもできること。
作家になれているわけではないし、書いたものを褒めてもらったこともない。
ただ自分が好きなだけで、いわゆる「才能」ではないと思っていた。

でも、晴一さんは、「好きでいること」も才能になると言ってくれた。

以前新聞に載っていた投稿を思い出す。
投稿した方は、絵を描くことが自分の長所だと書いていた。
イラストレーターになろうと思っているわけではないが、自分に自信が持てない私にとって、唯一強く出せる自分の長所なのだ、と。

それを読んだとき、私にとって書くことも同じだと気づいた。
私は話すことがとても苦手だが、こうして書くことでなら、表現できる。

その投稿を読んで思ったことを、私も投書してみた。
そうしたら、私の文章も掲載していただけた。

何をしてもうまく行かないと言われ、また実際にその通りの私の人生で、初めての成功。
書くことが好きだと、改めて思った。

発達障害を抱える人たちの中には、TVで紹介されるような本当にすごい才能の持ち主がいる。
有名なところではモデル・俳優の栗原類さんから始まってピアニストの野田あすかさん、コーヒー焙煎士岩野響さん…枚挙にいとまがない。

そうやって発達障害が取り上げられ、広く知られるようになっていくにつれて、私はやりきれなさも感じていた。
「才能のある人ばかりじゃないのに」と思う気持ちがあった。

私には才能なんてないと思っていたから。
自分が好きなことで生きる道を見つけられなくて、他人に迷惑を掛けながら普通に働いて生きていくしかないから。

でも、そうやって華々しく取り上げられるものだけが才能じゃない。

晴一さんはそう言ってくれる。
好きでいることが、才能だと。

それが「自分を居心地のいい場所に連れて行ってくれる力があるのではないかと」今の晴一さんは、そう結んでいる。

やっぱり「ギフト」を書いた人だなぁ、と思う。

神様はひとりひとりに才能をくださっている
それを信じて、踏み出すかどうかは自分にかかっている。
他の人から見たら「ちっちゃい箱」かもしれない。

でも。

少しは自分にも期待してみてほしい。
「想像よりもやれるかも」しれないから。

この記事を読んでくださっているあなたが、自分には才能なんかないんだと思っているのなら、「ギフト」をぜひ聴いてみてほしい。
ポルノグラフィティは、きっと背中を押してくれる。

次回は「ギフト」について書いてみたい。

 

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