こんにちは、メリッサです!
久々にプロフィールを読み返して思ったのですが、「発達障害の日々を書いていく」としておきながら、実は今日まで関連の記事を書いていませんでした…すみません!!
今さら感たっぷりですが、この記事では私の困りごとを書いてみようと思います。お付き合いいただけると嬉しいです♪
「人の話を聞くときは目を見なさい」
これは大半の人が小さい頃から言われることだろう。私もそうだったが、それがとても苦手で、どうしても視線がそれてしまう。そうすると、それは自分がしたことや状況から逃げているからだと言われ、さらに咎められる…という悪循環に陥るばかり。それが事実なのかもしれないけれど、自分なりに理由を考察してみた。
私は自閉症スペクトラム症で、他人と接することに非常な苦痛を感じる。心理検査の結果では、「他者とのかかわりにおいて苦痛を感じやすいですし、かかわり方のスキル習得について、他者のサポートが欲しいレベルです」と書かれたくらいだ。だから、不謹慎かもしれないが、新型コロナウィルスの影響で人との接触を控えることが推奨されている今を、かえって生きやすいと感じる。
人の目を見ることも最大の苦痛のひとつで、目を見ることを意識していると話の内容が頭に入ってこない。私の脳は、目からの情報と耳からの情報を同時に処理できないからだろうと思う。話に集中して理解しようとすればするほど、相手から視線は逸れる。人の目を見ていると、考えることができないのだ。だから意見を聞かれても、とっさに答えることができない。
定型発達の方々は、これが難なくできるのだろう。だから、できない私を見ると余計にイライラするのだと思う。
TVや書籍を通して、発達障害という言葉が広く知られるようになって久しいが、理解が進むのは難しいようだ。
もしも周りに、話すときに目が合わない人がいたら、例えばお子さんがそうだとしても、頭ごなしに怒るのではなく、その分話をしっかり聞いているのだととらえてはもらえないだろうか。それがお互いの利益になると考えるのは、発達障害当事者の身勝手だろうか。私は怒られて育ってきた。結果は、余計に人の目を見ることが怖くなった。
確かに、定型発達の人の「普通」や「常識」からはズレているかもしれない。場合によっては無礼だったり、失礼だと感じるかもしれない。余計に怒りがヒートアップする原因のひとつになるのかもしれない。でも、当事者の立場からしてみると、目からの情報を遮断することで、聴覚に集中しているのだ。できないなりに、せめてきちんと聞くことはしたいと思っているからこそ、視線が逸れていくのだ。
私はできるだけ視線を合わせて話を聞くよう努力している。でもやっぱり話に集中できない。内容を覚えていられない。自分の考えをまとめられない。どう思うか聞かれても、朧げな話の内容を思い出してから考えないといけないので時間がかかり、余計にイライラさせてしまう。悪循環だ。
一般的には、メールよりも電話、ベストは直接話す方がお互いに理解しやすいと言われるが、私のように発達障害で生きづらい思いをしている人には、それは当てはまらないのではないかと思う。実際私は、電話や直接話すよりも、このように書いて伝える方が楽だし、理解もしやすい。
それなのに、電話応対が主のカスタマーセンターやテレオペ、果ては秘書なんて仕事をしていたのだからうつ病になって当然とも言える。この点でも、テレワークが推奨されている状況がとても居心地よく感じるのだ(と言っても私はテレワークができる仕事をしていない)。
新型コロナウィルスの流行で日常は大きく変わったが、発達障害を抱える身としては必ずしもマイナスの面ばかりではないと思っている。これをきっかけに、それぞれが自分に合った方法で生きられる世の中になればいいと思う。
人への共感力にも欠けると言われる身で、果たしてできるかどうかはわからないが、せめて私は、人が抱える「見えない事情」を考えられるようになりたいと願っている。