北京オリンピック 「才能」について考えた

こんにちは メリッサです。

北京オリンピック、見ていますか?私はスポーツに縁遠い人生を生きているので、正直あまり関心はありません。

が!やはり羽生結弦選手には心を揺さぶられました。

今回はその記録として書いた記事です。私の中でもまだ感情がまとめられていないので、後で書き直すかもしれませんが、現時点での考え、ということで。

私が羽生結弦選手を知ったのは、うつ病で休職中のことだ。

それまで興味のあったことへの意欲が失われ、実家で何をするでもなく過ごし、メンタルヘルスクリニックに通院する日々。本を読むこともなく、大好きなポルノグラフィティの音楽さえ聴かずにいた。時間だけはたくさんある。そんな毎日の中、暇を持て余す私の目に飛び込んできたのが羽生結弦選手の姿だった。

もちろん、国民的スターの羽生選手の名前は知ってはいたが、脚が長く顔が小さく、日本人離れしたスタイルでスケートを滑る人、くらいの認識だった。スポーツが苦手で縁のない人生を歩む私にとって、スポーツ選手も同じくらい縁のない世界だ。ニュースで報道されれば見るが、試合で滑る姿を見たことはなかった。

そのシーズンの彼のプログラムはバラード第1番ト短調/SEIMEI。

フィギュアスケートを自分から見るのは初めてで、もちろんジャンプの種類がどうとかスピンがどうとかステップとか、専門的なことは何ひとつわからない。それでも、羽生選手が滑る姿に吸い寄せられた。

その冬私は社会復帰のステップとして、米軍基地の除雪の仕事に就いていた。雪の少ない冬で、勤務時間の大半は待機して過ごした。ほとんどが男の人で占められる季節従業員の中、私はひたすら羽生選手の動画を見ていた。何しろにわかファンなので、過去の試合の映像もたくさんある。「楽しい」という感覚を、私は何か月かぶりに取り戻していた。

フィギュアスケートの詳しいことはわからなくても、彼が舞う姿に目が釘付けになった。暗い日々の中、その時間には光が灯るようだった。羽生選手の、リンク上での強い眼差し、キス&クライで見せる無邪気な笑顔、メディアやファンの人たちへの丁寧な対応、謙虚な姿勢。

羽生結弦選手は、あの時確かに私をうつ病の世界から引っぱり出してくれた。2015年に史上初の330点超えを達成したとき、平昌オリンピックで2連覇を成し遂げたとき、嬉しいと思う気持ちをよみがえらせてくれた。

その彼が、この北京オリンピックでのフリーを終えたとき、こう言った。
「どんなに一生懸命頑張っても何も報われなかったオリンピックだったので、本当にしんどかったです。でも何かちょっとでも傷跡が残せたら。ちょっとでも皆さんの心の中にでも」

さらにNHK東北で放送されたインタビューで、羽生選手は来月で発生から11年を迎える東日本大震災の被災者の方々にこのように問いかけている。

「僕は皆さんの何かになれましたか?」
「これまでは金メダルを持って来て、結果で恩返しできたと思っていますけど、今回は何も持ってこれなかったなと思っているので」

時にうつむき、そして上を見上げるようにしながら話す姿は、私の目には懸命に涙をこらえているように映った。

このオリンピック、羽生選手はもちろんだが他の競技の選手を見ていて気づいたことがある。それは、才能という言葉の持つ暴力性についてだ。

人はよく「才能がある」という言葉を使う。かく言う私も、スポーツに代表されるような一芸に秀でた人を見ると、「才能があるから」の一言で済ませていた。才能があるからできる、才能があるからプロになれる、才能があるからオリンピックでメダルが取れる。

でも今回、傷つきながらも必死に4回転半アクセルに挑む羽生選手の姿から、私はなんて失礼だったんだろうと気づいた。才能があるからなんだと言うのだろう。彼らだって努力しているのだ。それも並外れた、ものすごい努力を。毎日毎日何時間も何時間も練習して、そしてやっとこの舞台に立っているのだ。だからこそ、その姿が多くの人の胸を打つのだ。

才能があるからと言って簡単にできるわけではない。そんな当たり前のことを、私は見逃していた。

羽生選手の問いかけに答えたい。

あなたがまっすぐに前を見つめて挑戦する姿から、私は勇気と感動を、そして力をもらっています。誠実にフィギュアスケートと向き合う姿に、私も夢を目指してがんばろうと思えます。うつ病だった私に光を灯してくれてありがとう。

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