初めまして!メリッサです。
簡単なプロフィールを作りました。あなたに響くものがあったらいいなと思います。
1978年生まれ 東京出身。祝日の夜中0時5分に生まれたことで、自分は特別に違いないと思っていた。
母によると、幼稚園の先生に「個性の強い子だから、公立の学校だといじめるかいじめられるかのどちらかになる」と言われたため、私立小学校に入学。何となく周囲に馴染めない感じを覚え始める。
12歳、塾の授業中にものすごい腹痛に襲われ、40℃近い熱が出て、帰宅後緊急病院へ。その後もなかなか腹痛が治まらず、熱も下がらないため色々な病院へ行き、母が盲腸ではないかと訊くが、どの病院でも違うと言われる。
ある病院でたまたま外来を担当していた教授先生が私の顔を見るなり「お母さん、これは普通の病気ではないです」と腹膜炎を発見。即入院、手術となり、「あと一日発見が遅かったら死んでいた」ほどの状態だったと聞かされる。病名は癒着性イレウス穿孔性虫垂炎。なんかすごい。
どんな病気かと言うと、盲腸が破れてお腹の中が膿みでいっぱいだった。それを避けようとして、腸や内臓が全部上に上がってきていた。その腸を取り出して洗浄、また元の位置に戻して閉腹。所要時間8時間。手術後、母は「3日ください」と言われたとのこと。
退院まで20日かかり、当然中学受験は失敗。
私の右腹部にはまだこの傷がある。計13針縫った手術痕と、2本の管を入れていた跡。執刀医の先生は、私がケロイド体質で傷が残りやすいと言った後、「整形で綺麗に治すこともできるから」と言ってくださった。
でも私にはこの傷を綺麗にする考えなど全くない。
後に私は37歳で洗礼を受け、クリスチャンになるのだが、人知を超える力を信じるのはこの病気の体験があるからだと思う。
神様があのタイミングで全てを備えてくださり、私を助けてくださった。
普段は外来をしない教授があの日は外来にいたこと、執刀医の先生がちょうど手術を終えたタイミングで私の手術を受けてくださったこと…思い返せば思い返すほど、神様の働きを感じる。それを決して忘れない。そのために私はこの傷を残している。
17歳、両親の別居で青森県へ。転校した高校の担任の先生に、「こんなに文系に特化した奴は見たことがない」と言われるほどの教科別成績の違いを遺憾なく発揮し、東京外国語大学に入学。
今までの受験が全敗だった理由が朧げながらわかった。教科によって能力に差がありすぎるから、5教科総合では勝負できない。それだけのことだった。昔の自分に教えてあげたい。
氷河期時代だったこともあって就職活動はうまくいかず、無職のまま実家に戻り米軍基地で働き始める。
小さいころから感じてはいた、周りに上手く馴染めない、社会に適応できない違和感が、働き始めてからだんだん顕著に表れるようになる。学生の頃は必要なかった「対人戦闘能力」に欠けている私は人間関係を上手く作れず、一つの仕事を長く続けられない。転職を繰り返すうち、2015年ついにうつ病発症。
半年の休職を経てまた働き始めるが、38歳にしてアスペルガー症候群(ASD)と注意欠陥障害の混合型と診断され、今までの違和感の正体を知る。
何かおかしいと思いながらも理由が分からず、社会で上手くやっていけない自分が存在しているのが間違いなんだという思いを抱えながら生きていたら、実は自閉症スペクトラムだった。
そんな人生のほぼ半分をポルノグラフィティの音楽に支えられて生きてきた20年来のラバッパー。
ポルノグラフィティ との出会いは、デビュー当時に遡る。20年に渡る話なので別記事で詳しく語りたい。
このブログでは発達障害の毎日と、ポルノグラフィティ、私を助けてくださった神様のことについて語ります。