こんにちは、メリッサです。
だんだん春めいてきましたね!桜も開いてお花見日和です。
母はまだ入院しているので、来年家族揃ってお花見しようと話しています。
前回は母がコロナになってしまい、面会できずにいた日々を綴った。
それから数日してお風呂上りにスマホを見ると、見知らぬ番号から着信が。番号を検索すると母が入院している病院だった。超速で掛けなおしたところ、母の呼吸状態が悪化して個室に移したとのこと。それから呼吸も落ち着いたので明日から面会できるというお知らせだった。
翌日、喜び勇んで面会に向かう。
「まだ酸素はつけてるって」と弟から聞いていたので酸素マスク姿をイメージしていたが、実際は鼻にチューブを入れている状態だった。経管栄養のチューブもあるので大変そうだ。しかし久しぶりに会う母は、私の髪を上から下まで撫でながら「可愛いね、可愛いね」と言ってくれた。
前回の記事でも書いたことだが、またしても私はちゃんと愛されて育ってきたのだと思い知る。同時に、これまで全く愛情を返せていなかったことに気づかされ、後悔に襲われた。
弟も思うところがあるのか、お見舞いに行くといつも「退院したら朝市に行こう」とか「〇〇に連れて行ってあげる」とよく口にしている。母が脳出血を起こしたことはもちろん良いことではなかったが、私の中にあった母へのわだかまりを消してくれたり、家族の仲をよくしてくれたことは本当に感謝なことだと思う。
ところで、緊急入院してからコロナ罹患の頃までは比較的脳出血前と同じように話せていた母の話し方に、この頃から違和感を覚えるようになる。
ある日の面会中、リハビリ担当の方が書類を手に説明してくれた。当然と言えば当然だが、コロナ療養中母のリハビリは進まなかった。それによって筋力が低下し始め、認知機能にも影響が出てきてしまったと言うのだ。
確かに入院当初からコロナになる前までは、母は自分の誕生日はもちろん私や弟の誕生日もしっかり答えられていた。それなのに、この頃になると問いかけても自分の誕生日も危うく、私の誕生日に限っては全く答えられなくなってしまっていた。
それでも、コロナ療養中に弟が申し込んでくれたテレビでいつも見ていた番組に合わせると、「あー!」と嬉しそうに声を上げて画面に見入る母の姿に頬が緩む。ただ元気でいてくれて嬉しいと思う。
前回も書いたが、私は母に対して思うところがないわけではなかった。ところがどうだろう。怪我の功名、というわけでもないが、母が脳出血を起こしてからというもの、そういう思いが消えていくことに気づく。今あるのは、ただ母に元気でいてほしいという願いだけだ。
聖書にはこんな御言葉がある。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」ローマ人への手紙8章28節
今私はこの御言葉を体験しているのだと思う。
母が病に倒れたことで、神様は私の中にある母へのモヤモヤを消し去ってくださった。また、家族の仲が良くなるようにもしてくださった。
母がこうなったことがよかったとは決して言えない。しかし、その結果生み出されたものが益となるに違いない。私はそう信じている。
