こんにちは!メリッサです。
いつも読んでくださる皆さまには感謝しかありません。
今日は私が神様と出会った話をしたいと思います。
プロフィールにも書いてある通り、私は信仰を持って4年目になるクリスチャンです。
正式に教会に行ったのは2016年6月18日ですが、それまでの人生にも神様を信じる素養はあったように思います。
小学生のころ、伯母に聖書を読みたいと言ったのか、子供用の聖書物語を買ってもらった記憶があります。
イエス様が十字架にかけられる絵を見て、つらい気持ちになったことを覚えています。
そして、これもプロフィールに書いていますが、私は12歳の時に死にかけたことがあります。
「あと一日遅かったら死んでいた」状態からどうして助かったのか、どうしてあの日、あのタイミングで外来に教授がいたのか、そして私の手術を担当してくださった執刀医が、ちょうど手術を終えたタイミングだったのか。
私が人知を超えた存在を信じるのは、この経験があるからだ。
私が通っている教会の牧師は、女性だがとてもダイナミックで、神様に愛され、特別な油注ぎがある、のだそうだ。
今はアメリカにお住まいなので私は直接お会いしたことがない。
ましてや油注ぎのことなんて全然わからない。
私以外の方々はみんなクリスチャンになって20年以上の方ばかりで、神様の奇跡を体験している。
神様の御声が聞こえるし、異言だって皆さん話している。
私にはそれがない。
でも、信じると言えるのは。
この病気の体験のおかげとしか言いようがない。
私があのタイミングで命を助けられたのには意味がある。
病気をした直後には確かにそう思っていた。
でも。
それからの人生はあまりうまくいかなかった。
大学以外は受験も失敗続き、就職もできなかった。
書類上の経歴だけは良いものが書けるから、転職はスムーズにできた。
でも、中身が伴っていないから長く続けられなくて、逃げるように転職を繰り返した。
今になると、私には発達障害があるからだと納得するのだが、当時はどうしてかわからなくて、そんな毎日の果てにうつ病になった。
なぜ自分が存在しているのかわからなくなった。
私が存在していることが間違いで、迷惑だと思うようになった。
ただ、この世界からいなくなりたい、消えてしまいたいと思いながら、毎日を過ごしていた。
事故に遭えばいい、誰かが私を殺してくれればいいのに、とも思った。
どうやったら死ねるのか検索したこともある。
そんな状態で、通院を続けながらなんとか手にした今の仕事。
その職場で、クリスチャンの先輩に出会った。
先輩が出会って間もない私に言ってくれた言葉が、決定打だった。
「私はあなたに幸せになってほしいの」
経歴だけは良いけれど、仕事なんて全くできない、でもプライドだけは高くてどうしようもない私に、そう言ってくれた。
衝撃だった。
ただ同じ職場の、入って間もない赤の他人にこんなことを言ってくれる人がいるなんて。
私は自分に生きている価値がないと思っているのに。
そしてなぜかその言葉は、私の心にすんなりと入ってきた。
本当にそう思って言ってくれている、とわかった。
それまでも、教会に行っている人が身近にいなかったわけじゃない。
曲りなりにも、米軍基地でアメリカ人と働く期間の方が長いから、クリスチャンとか教会とかいう言葉に触れる機会は多かった。
仲良くしてくれた人が教会に行き始めるのも見てきた。
先輩がくれた一言は、神様に興味はあっても、実際に教会に行く、までは行かなかった私にきっかけをくれた。
私はただ変わりたかった。
生きている意味を知りたかった。
生きていてもいいのか、知りたかった。
そして私は初めて教会に行ったその日にクリスチャンになった。
訳も分からないままにイエス様を受け入れる祈りをしたのだと思う。内容は覚えていないけれど、コンピュータの画面越しにパスターと手を合わせ、ただ泣きながらその言葉を口にしたことを覚えている。
パスターが、「スッと入られたよ。なかなか入られない人もいるけど」と言ってくださったことも。
それから3年。
何かが劇的に変わったかと言うと、そんなことはない。
信仰だってまだ弱い。
本当に信じているのかと訊かれることだってあるくらいだ。
ただ、ときどき人生を振り返ってみて思うことがある。
神様が私を選んでくださった、と。
神様に出会うまで、私の知らないところで助けてくださった、と。
あの病気のこと。
ずっと犬が好きで、飼いたいと思っていた願いを叶えてくださったこと。
私が社会に出てからうまくやっていけない中でも支えになるもの、ポルノグラフィティの音楽と出会わせてくださったこと。
そして今でも、教会や聖書が難しくてわからない時、他の方法で教えてくださること。
宝塚をいつか最前列で観たいと思っていたことも。
ポルノグラフィティのライヴにだって、最前列で参戦したいと思っていたことも。
全部、叶えてくださっていた。
今の私の願いは、こうやって文章を書くことを仕事にすることだ。
時々私は、何か書かなければ爆発しそうだ、という衝動に駆られることがある。
それが何かはわからない。ただ、書きたいと思う。
私には他にできることはない。
こうして文章を書くことだけ、昔から好きだった。
こういうものは、神様がくださった賜物、神様がくださった才能なのだと教わった。
だからこれは神様が私にくださったものだと信じている。
きっとこの願いも叶えてくださると信じている。
いつか、神様の奇跡だって体験できるだろう。
異言の賜物をいただいていると、クリスチャンになったその日にパスターが言ってくださった。
だから、異言を話す日も来るだろう。
神様の御声が聞こえる日もきっと来る。
心で信じ続けることは私には難しいから、ここに記録として書いておこうと思う。
それが実現した日も、記録に残したい。
私のように、ままならない毎日を送っている方もいるだろう。
自分の人生に何の意味があるのか、わからなくてどうしようもない方もいるだろう。
これまでの人生を振り返ってみてほしい。
人知を超えた力が働いていたと思う瞬間が、そこにはあるのではないだろうか。
そういう瞬間があったら。
もしよかったら、聖書を読んでみてほしい。
どこかに救いを求めているのなら、教会に足を運んでみてほしい。
あなたも、神様の大切な子ども。
あなたが苦しんでいるとき、神様も一緒に泣いてくださる。
聖書の神様は、そういう神様だ。
このブログを通して、私の文章を通して、読んでくださる方の心に何かが届きますように。アーメン。